文化芸術振興策で東京を元気に

リーマンショックを機に世界中をまきこんだこの経済不況は、1929年当時のいわゆる世界大恐慌の時代としばしば比較されながらとりあげられています。当時、就任したアメリカのルーズベルト大統領が行ったニューディール政策は、テネシー渓谷の開発など土木事業では有名ですが、第二次ニューディール政策として「フェデラル・ワン」と呼ばれる大がかりな芸術振興策も実施されていたことは、あまりとりあげられていません。

例えば美術プロジェクトでは、10,000点を超える絵画と18,000点の彫刻が制作されました。音楽プロジェクトでは、毎週5,000回もの公演が行われ、聴衆は300万人にも上ったといわれております。演劇プロジェクトでは、4年間で新作1,200本をも世に出しました。こうした文化芸術の振興によって、第二次大戦後、世界の芸術の中心がフランスのパリからアメリカへと移り、ブロードウエーミュージカルやハリウッド映画といった、今日のアメリカの文化芸術産業の繁栄をもたらしました。その礎を築いたのが、実は大不況期だったといわれています。

20世紀最高峰のバイオリニストであるユーディー・メニューイン氏は、「音楽はどんなに大変な時代でも何とか私たちを力づけようと、繰り返し繰り返し励ましの言葉を投げかけてくれる。深い根底から発した音楽であればなおさらである」と言われています。希望や夢を持つ原動力となり得るものこそ、文化芸術であると私は思います。まさに今こそ東京都として、文化芸術振興に力を入れるべき大きなチャンスのときなのです。

今年は、私の大好きなピアノの原型が発明されてから300年の佳節の年。都では、平成20年度から文化の創造発信と、文化芸術を通じた子どもの育成を目的とした東京文化発信プロジェクトも始まっています。

by
関連記事