平和憲法の理念を世界に
戦争体験のない戦後世代の私たちが、今、世界平和への道を歩もうとするとき、その行動規範をどこに求めたらよいのでしょうか。
私は、ヒロシマ・ナガサキを含む悲惨な戦争の犠牲の果てに、その教師として、また人々の絶対平和への祈るような切なる願いの結実として、今日私たちが手にしている「日本国憲法」こそ、その一つの原点であり、出発点ではないかと思うのです。
昨今、憲法論議がよく話題になっています。憲法制定の経緯に関する議論があることは、私も十分承知しています。しかし、日本の庶民の実感としては、憲法は決して「押しつけられた」ものではなく、かけがえのない同胞・肉親の生命を代償にして、「勝ちえた」ものだったといえるのではないでしょうか。
いうまでもなく、日本国憲法が平和憲法として高い評価を得、優れているゆえんは、前文に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」しているように、「平和的生存権」を掲げ、本文第9条で一切の戦争と戦力の放棄を宣言しているところにあります。
戦前において、史上最も進んだ民主的憲法といわれたドイツのワイマール憲法ですら、自由権的人権や社会的生存権の宣揚にとどまり、武力放棄も含めて徹底した平和については論及していません。いわば、永久にして普遍の原理である「人権」を高らかにうたいながら、最大の人権侵害である戦争を認めているわけです。また現在の世界各国の憲法も同じような状態にあります。
戦争状態になれば、生命の安全と自由、幸福追求への権利が奪われることは、言うまでもありません。愛する人から引き離されたり、死の恐怖にさらされる戦争というものを想定し認めることは、基本的人権の確立という人類の英知の歩みに逆行することでしかないのです。
また基本的人権の思想が人類に普遍の原理として考えられている以上、一国の国民だけの人権ではなく、世界のすべての国民の人権を認めることも当然です。世界不戦への真摯な努力こそ、この憲法をもった日本国民の取るべき必然にして唯一の選択であると考えます。もっと言えば、全世界が戦争放棄の憲法をもつことができる世の中にする、つまり平和憲法の理念を世界に広めていくことこそ、日本の使命なのではないかと思うのです。
未来を憂う世界の識者の中で、この日本国憲法の卓越性に注目している人も少なくありません。例えば20世紀最大の歴史学者と言われるトインビー博士は、日本国憲法の意義に触れ「第9条を憲法に盛り込むことによって歴史の流れを正しく予測した日本国民の英知と先見の明は、将来きわめてはっきりと証明されるでしょう」「第9条は日本の宝であるばかりでなく世界の宝」であると平和憲法を激賞しています。
私は、平和を願う一人の女性として、子をもつ一人の母として、未来に生きる子どもたちのために、平和で持続可能な「チルドレンファースト」の社会づくりに、自分のできることを全力でやっていこう、と心新たに誓う日々です。